陸前高田市を襲った3.11巨大津波の脅威とは?



東日本大震災が2011.3.11の午後2時46分に発生しました。

これまで経験したことがないような大きな地震で

身動きが取れなくなりました。

 

揺れている瞬間にラジオでも聞いていれば、

津波に警戒してくださいというアナウンスを聞いて

 

高台への非難を迅速に行うこともできたかもしれません。

 

ラジオを聴いていなかった人も多くて津波の襲来リスクや

置かれている状況が理解できないまま

予想を超える巨大津波の脅威にさらされます。

 

陸前高田市は町が全てなくなるほどの

被害がでました。

 

 

陸前高田市の場所を地図で確認

陸前高田市はどこにあるのかを地図上で確認しましょう。

津波の被害が甚大になった陸前高田市がある場所は

岩手県の太平洋岸の街です。(宮城県気仙沼市に隣接)

 

陸前高田市の西には一関市と隣接していて

一関市は秋田県東成瀬村や宮城県と接する町です。

 

陸前高田市は岩手県でも南部の県境の街で、

南は宮城県気仙沼市と隣接しています。

 

2011.3.11陸前高田市を襲った巨大津波の脅威とは?

津波がやってきて船が流されて、家が流され

ビニールハウスも流されます。

 

そして最終的には町全体が流されてしまいました。

地震が発生してから20分くらい経過してから

津波がやってきました。

 

最初の地震の揺れの恐怖よりももっと怖さが

増したに違いありません。

 

しかも津波想定区域をはるかに超えた家々が津波に

飲み込まれて被害面積が拡大しました。

 

しかも海から遠く離れた山間部の住宅も津波に流されるなど、

過去の地震の被害からは想像もできないほどでした。

 

集落の住宅が流されただけではなく人の命も

津波は襲いました。

 

 

奇跡的に松の木が1本残った以外は

陸前高田市の海岸沿いに7万本あった松の木が津波で倒されました。

 

巨大津波の甚大なエネルギー、猛威の程度がわかります。

 

 

 

奇跡の一本松のある場所の住所は

岩手県陸前高田市 気仙町砂盛176-6です。

 

白砂青松の高田松原で知られている景勝地には、

気仙川が流れていました。

 

3.11の津波は気仙川にかけられていた気仙大橋を飲み込み、

高田松原も根こそぎ流すほどの勢力でした。

 

 

 

津波が山間部まで来たために避難先は山奥で

配布された形態も電波が届かないほどだったほどです。

 

沿岸からは遠かった奥地まで津波が届いて

松の木が建物に突き刺さっているような光景もありました。

 

勿論、車は全て流されたので移動手段はなくなりました。

 

陸前高田という美しい街が津波被害で瓦礫の山と化してしまいました。

 

 

陸前高田市の巨大津波の被害とは?

3.11地震当日は電話がつながらなくなりました。

実際に電話で遠方の人と話している場合ではなくすぐに

非難をする状況が陸前高田にはあったでしょう。

 

 

 

  • 陸前高田市は被害甚大の模様
  • 現在建物屋上に避難している人を岩手県防災ヘリ及び海上保安庁ヘリにより6名を救出
  • 陸前高田市は消防庁舎が全壊

などのニュースが2011/3/12のニュースで報じられました。

 

今は復興を開始しましたが、

巨大津波の被害は甚大でした。

 

陸前高田はではいくつかの場所が

地盤沈下して沼状になった場所もありました。

 

今だからこそ、過去の陸前高田市の

津波の脅威を忘れてはなりません。

 

陸前高田の場合は海辺の集落が全て

消滅するだけの被害になって、

一から街づくりを高台で行うことになりました。

 

⇒大川小の悲劇は「消えた故郷 長面地区」だけでなく通学区域の人口減少と集落消滅に影響!

 

陸前高田に来た津波の脅威を示す3.11画像

津波の脅威を示す陸前高田での画像を見てみます。

 

 

 

津波の画像をみて、

3.11の津波の脅威を忘れることがないように

したいものです。

 

陸前高田の関連図書

 

陸前高田から世界を変えていく 元国連職員が伝える3.11

日本が戦後焼け野原から復興したように、

 

何もなくなった陸前高田だからこそ、

新しい街のプランが描きやすいともいえるでしょう。

 

1000年に一度のピンチを1000年に一度のチャンスに変えようとする

試みがいつか花開くことを期待します。

 

 





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