20年間「引きこもり」から女性が脱出した事例に津波の恐怖があった?
引きこもり歴も20年にもなればある日突然、
仕事をし始めるということは考えにくいです。
ところが東日本大震災の津波被害にあった町では
引きこもり歴20年の女性が津波から避難することを
きっかけにして引きこもりから脱出できた
事例がありました。
死への恐怖は引きこもりから脱出させる力を持っています。
津波の恐怖を自覚して引きこもりから脱出できた女性の事例とは
引きこもり歴20年の宮城県南三陸町に住む女性が東日本大震災の発生直後に
町の防災無線による
「高台に避難してください」
という警告を繰り返し聞くうちに、
引きこもっていた自宅から屋上へ避難して以来、
引きこもりから脱出できたという事例です。
2011年3月11日、激しい揺れが収まった後、斎藤さんは自宅で防災無線を聞いていた。
「高台に避難してください」。繰り返し呼び掛ける声のトーンは切迫感を増していった。
自宅のある4階建ての集合住宅は海のそば。「危ないかもしれない」。迷った末、外に出る決断をした。
靴や服がどこにあるのかも分からず、準備に手間取った。玄関を開けると、津波は既に防潮堤を越えていた。
追い立てられるように屋上へ逃げた。津波は辺り一面をのみ込み、屋上にいる自分の足元ぎりぎりまで達して止まった。
出典:あの日の防災無線 引きこもりの扉を開けた(河北新報)
つまり、女性は
- このまま20年間続けてきた引きこもりを続けると100%死亡
- 引きこもりを脱出すると50%の確率で死亡、50%の確率で生存可能
という二者択一があったと思うのですが、
20年引きこもった女性は生存できる確率がある屋上への避難という
方法を選択したことになります。
当然の選択ですが、
引きこもりから脱出するきっかけは何らかの恐怖を本人が自覚した時
にあるように感じます。
参考までに南三陸町の地図もご覧ください。
津波の恐怖があった場所には間違いありません。
20年の引きこもりから脱出できたのは防災無線が救ってくれた事への感謝の気持ちも
津波による死への恐怖が女性を家の外に出したのは
1つのきっかけになったでしょう。
女性が引きこもりに戻りそうになりながらも
頑張ろうとしているのは
避難を呼びかけながら津波で亡くなってしまった人たちへの
感謝の気持ちです。
あの日、町の防災対策庁舎で避難を促し続けた町職員は津波の犠牲になった。自分はその声に救われた。
出典:あの日の防災無線 引きこもりの扉を開けた(河北新報)
命がけで避難を呼び掛けてくれたお蔭で、
助かったのだから仕事をして社会貢献できたら・・・。
という気持ちが芽生えている点も
見逃せません。
引きこもりで悩んでいる人たちに対して
暖かく接することも大切です。
会社を経営している人なら引きこもりをしている人を
優先的に雇用しようとする動きがあっても
いいのではないでしょうか?
引きこもっている人は仕事をする気力が一時的に
乏しいだけです。
その意味では履歴書重視の選考方法については
考え直す必要がある気がします。
むしろ引きこもり期間中に身に着けたことを
評価してあげたいものです。
引きこもりを脱出したときの嘔吐を克服できて、20年間を後悔!
長期の引きこもりから避難生活の中で人と接する中で
女性は嘔吐をするくらいの重症でした。
直後は人前に出た極度の緊張から嘔吐(おうと)が続き苦しかった。3日ほどして仙台市に移り、避難所となっていた仙台二中に身を寄せた。
同校の教職員や医療関係者、地元の町内会長らが親切に接してくれた。
「くじけたら、皆さんに申し訳ない。まずは自分のことは自分でできるようになりたい」。
出典:あの日の防災無線 引きこもりの扉を開けた(河北新報)
引きこもりから脱出することは長期になると容易ではないことが
よくわかります。
20年間引きこもったことで女性は今では後悔もしています。
どんなことを後悔しているかは
具体的にはわかりませんが、
仮に20年間仕事をしていたら、
1年間で300万円の収入を
得ていたと計算しても、
6000万円(=300万円×20)も得られたお金を失った計算です。
20年間平均年収300万円で仕事をしてきた人が
ある日突然6000万円の貯金を失う恐怖は
かなりのものです。
引きこもりを1年間続けると運動不足で死亡率が高まりお金も稼げません。
引きこもりを脱出して仕事を始めれば健康診断も受けられ給与ももらえる。
さて、どっちの選択がいいでしょうか?