原節子さんが42歳で早期引退した理由は経済的に自由になっていたから!



「永遠の処女」と呼ばれた伝説の

名女優・原節子さん(=本名・会田昌江)が

 

2015/9/5、肺炎のため神奈川県内の病院で

95歳で死去していたことがわかりました。

 

15歳で映画デビューして以来、

 

  • 小津安二郎監督「麦秋」「東京物語」などの作品
  • 黒澤明監督の「白痴」など数々の名作

 

に出演した日本映画を代表する

美人女優として活躍しました。

 

しかし、1962年の東宝映画「忠臣蔵」を最後に

42歳で突然の引退をします。

 

鎌倉市の自宅で全く姿を見せない

徹底した隠とん生活をしていたことが、

 

映画界最大の謎といわれています。

 

なぜ名女優・原節子さんが42歳で早期に引退したのか?

その理由は経済的に自由があったことが一因でしょう。

 

 

原節子さん貧困脱出が動機で女優になった!42歳で引退した理由は十分な資産があったから!

 

我々の視点では、名女優、美人女優が42歳の若さで

引退というのは謎に見えますが、

 

原節子さんにとっては女優になった理由が

家庭の経済的な困窮が背景にあって

 女学校も中退しましたので

 

女優になって稼いで親孝行をしたり

家族の為に経済的に役に立つ目的が

達成されたなら、

 

42歳という年齢には無関係に

引退は合理的な判断です。

 

原さんが経済的に十分な資産があった根拠として

1994年に東京都狛江市の元自宅である

 

宅地約2900㎡(約877.25坪)を売却して

 

高額納税者番付の75位に顔を出して話題になった

ことからも理解できます。

 

東京都狛江市の広大な土地の売却代金は

約12億円にもなりました。

 

不動産を売却して納税をしたということは

売却した価格が取得した価格を

 

上回っていたことが理由で 

売却益が出たためです。

 

つまり、原さんは自分で稼いで得たお金で

自宅を購入後土地が値上がりした

状況で売却が完了していましたので、

 

ただでさえ多かった資産がより

土地の値上がりで増えていたという

幸運の持ち主です。

 

日本におけるバルブ崩壊は

株式市場では1989年であり、

株価は1989年にピークをつけました。

 

ところが土地の値下がりはそれから

ワンテンポ遅れて1990年~1994年に

 

かけて、地域によってピークを打っています。

 

都会程、土地の値段の天井は株価の天井をつけた

時期に近く、急速に値下がりしましたが、

 

郊外の土地はワンテンポ遅れてピークを

つけています。

 

ですから、バブル崩壊後の最高水準から

下落し始めた初動の段階で

売却が出来ている点でも

 

原さんは資金を増やすのがうまかった

といえるでしょう。

 

 

かといって株式投資で資産運用をしていたわけでもなく

土地を売却した1994年当時の銀行金利は

2%くらいはありましたから、

 

6億円の現金を預金しても、

年間の利息だけで、

 

1200万円(税引き前)も

つきます。

 

名俳優・故高倉健さんは養女に遺産40億円をすべて相続した記事はこちら!

 

原節子さんが経済的に自由になっていたことで、

42歳で早期に引退したのが

 

理由の1つでしょう。

 





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