ノーベル賞受賞:大村智氏は経歴がユニークで東大や京大出身ではない!微生物研究のきっかけは何?
山梨県韮崎市にある
「韮崎大村美術館」の
設立者で、
北里大学特別栄誉教授の
大村智氏が今年の
ノーベル医学・生理学賞
の受賞者
に選ばれました。
恐らく誰も予想していなかった
研究者でした。
これまでのノーベル賞受賞者は
大抵が京都大学や
東京大学などの
出身の研究者でした。
その意味では
大村智氏の経歴が
ユニークです。
ノーベル賞受賞には
最先端の科学技術である
こと以外に
世界的に多くの人々に幅広く貢献し
役に立った研究成果を挙げられたか?
という視点があったために
受賞できたといえるでしょう。
なぜ、大村智氏がノーベル賞を受賞できたのか?
具体的に経歴や微生物に出会うきっかけを見ていきたい
と思います。
大村智氏の経歴は東大や京大卒ではない?農家で生まれ山梨大学→東京理科大学へ。
大村智氏は1935年に実家がある
山梨県韮崎市神山町の農家の
長男として生まれます。
農家の長男といえば、今の時代とは違い、
高校卒業後は実家の農業を
継ぐものと考えていたそうです。
ところが、お父様に
理解がありました。
お父様は長男には
農業を継いでほしい
という本音は脇に置いて、
大村さんが大学へ進学することを
勧めてくれました。
大村氏は地元山梨県にある
山梨大学学芸学部自然科学科
(現在の教育人間科学部)
に入学します。
大村智氏の実家は
農家であったために
地元の国立大学を
選択するのが経済的に
助かったのだと思います。
研究熱心な学生であれば、
その後は同じ大学なり
他大学の大学院へ
進学するものですが、
木村氏の場合は、
親のすねを
かじりませんでした。
山梨大学を卒業後は
都立墨田工業高校で
化学と体育を担当し、
定時制の教員をしながら自力で
東京理科大学大学院に進学
し勉強を続けます。
研究や学業を極めるのは
大変苦労するものですが、
経済的にも自立して
高校教諭として
仕事をしながら
修士課程を修了する
という意味で
苦労人と言えるでしょう。
大村智さんは地元の山梨で教員を目指したが募集がなく、都立高校の教師になったこともきっかけだった?
山梨大学卒業後は
地元での教職を目指しました。
しかし、その年は募集がなく、
東京都の墨田工業高校定時制の
教師になりました。
この職業選択も、研究者になる
きっかけになったと
いえるでしょう。
東京理科大学出身者で
ノーベル賞受賞者が
出るのも初めてなのですが、
東京理科大学の
修士課程を終えた後は、
母校である山梨大学の
助手に採用されます。
ノーベル賞受賞した大村氏は
「ノーベル賞受賞は
微生物にやりたいくらいだ」
と冗談をいうくらい
助手時代に微生物との出会いの
きっかけがありました。
ノーベル賞受賞・大村智氏が微生物研究に目覚めるきっかけは?
当時の山梨大学工学部発酵生産学科で
微生物の研究を
する機会が得られます。
山梨大学工学部発酵生産学科は
微生物による
発酵技術を研究する
日本でも
珍しい学科です。
現在は工学部の学科が再編され
山梨大学生命環境学部生命工学科に
該当する部門がある
と思います。
山梨県といえば
ワインの生産が盛んですが、
大村氏は助手時代にブドウ糖から
アルコールをつくる酵母の働きをみて、
「とても人にはまねできない!」
と感じ
微生物のはかりしれない
可能性に開眼したことが
大村氏が研究者として新しい分野を
開拓していくきっかけになりました。
土壌に多く存在している
微生物の研究は
生き物が相手ですから
労力を必要とする
大変な研究分野です。
私が学生だったら大村先生の
研究室には入りたくないと
思ったでしょうね。(笑)
研究のアイディアも大切な点ですが、
特定の微生物の発見には
「特定の微生物だけを取り出す
技術」=分離が必要です。
また、分離した後で、
微生物を培養し続けるには、
微生物が生きやすい
環境になる培地の作成も
必要になります。
また、実験を進めるうえで
通常の室内は
雑菌だらけですから
特定の微生物を分離して
培養し続ける
独自の実験技術が
あったことも想像に
難しくありません。
ノーベル賞受賞・大村智氏は山梨大学で教師を目指した異色の経歴!なぜか母校工学部で助手になった!
ノーベル賞の分野の中で医学生理学賞
を受賞するするだけの
研究成果を挙げる研究者というのは、
大学はどこの大学かはさておき、
理学部、工学部などの
理工系の大学を卒業し
その後大学院へ進学し大学やその他研究機関、
民間企業の研究部門で
研究を続ける
というのが一般的です。
大村智氏が卒業した山梨大学では
教員を目指す学部
つまり一般的には
教育学部と言われる
学部を卒業していた
という点に
大変ユニークな経歴が
あります。
実際に都立高校で工業高校の教師を
するのですが、
教師をしながら、また自身の能力を高める
という目的で
東京理科大学大学院へ
入学していた
という経歴が
とにかくユニークです。
東京理科大学大学院終了後に
母校の山梨大学へ
勤務といっても、
卒業した学部ではない
学部学科(工学部)
で助手を務める
という点もユニークすぎる
経歴であると思います。
最終的には自然科学の教育に
携わる教師を
するのではなく、
理工系の研究者としての才能を
自身で開花させた
異色の経歴の持ち主である点が
驚きです。
そして研究の方向性を
微生物との出会いに
よって
研究分野を微生物の活用
という視点を
持てたことが
何よりも素晴らしい点
ではないでしょうか。
結果的に大村さんが
寄生虫撃退に
効果がある微生物・放線菌を
発見したことを
きっかけにして、
新薬が生まれました。
創薬で生まれた莫大な
特許料数百億円は
金目当てで生み出されたものでは
ありません。
日本人がノーベル経済学賞を
なぜか受賞できないと久しく
議論されています。
投資家で
さんは
開成学園と並ぶ名門
桜蔭学園の出身でもあります。
ノーベル賞ウィークに何を思うのでしょうか?