臼井二美男は義肢装具士のプロフェッショナル!走り高跳び鈴木徹選手の義足作成者!



リオパラリンピックが2016/9/7から開催されます。

日本選手では走り高跳び鈴木徹選手が5度目のパラリンピックで

初のメダルを狙います。

 

義足の鈴木徹選手はこれまで4度のパラリンピックを経験していますけれども、

2メートル声のジャンプを可能にしてきた背景には、

 

臼井二美男義肢装具士(ぎしそうぐし)の存在がありました。

 

臼井二美男 義肢装具士は「プロフェッショナルの流儀」

でも紹介されるのですけれども、

 

児童書として本「転んでも、大丈夫 僕が義足をつくる理由」を

最近出版しています。

 

 

義肢装具士の臼井二美男がプロフェッショナルで紹介される!

7日に開幕を迎えるリオパラリンピック。

義足スポーツの陰の立役者と言われるのが、義肢装具士の臼井だ。

数多くのアスリートの義足を作り、世界へと送り出してきた。

だが、臼井の作る義足はそうした特別なものばかりではない。

日常的に使用する生活用義足作りこそ、臼井が最も大切だと考える仕事。

臼井が徹底してこだわるのは、はく人の“希望”をさりげなく、

しかし的確に捉え、あらゆる技術を駆使し、その希望にそうよう努力することだ。

この夏もまた、さまざまな願いを持った人々が臼井の元を訪れた。

スカートがはきたい女性、パラリンピックに出たいと願うアスリート、

ハイヒールでおしゃれを楽しみたい女性・・・。

「義足の仙人」とよばれる職人の、静かなる闘いの日々を追う。

出典:作るのは、ともに歩む足 義肢装具士・臼井二美男

 

パラリンピックの歴史は1960年のローマからスタートしているのですが、

陸上の分野で日本選手が参加したのは、

 

臼井二美男氏が義足を作成しバックアップした鈴木徹選手が

走り高跳びで出場した2000年のシドニー大会が初めてでした。

 

パラリンピック陸上に参加できるだけの義足をつくる技術や、

選手の層が広がってきたのは臼井氏や鈴木徹選手の活躍が

きっかけでした。

 

リオパラリンピックでは陸上競技だけで36名もの日本選手が

参加基準を満たしてメダルを狙います。

 

臼井二美男 義肢装具士が鉄道弘済会に入社するまでフリーターだったプロフィールがあった!

臼井二美男さんは、学校を卒業してすぐに、現在勤務する

鉄道弘済会に入社したわけではありませんでした。

 

1955年に群馬県前橋市の農家に生まれます。

高校を卒業後は目的もなく、東京の私立大学文学部に学びますけれども、

中退してしまいます。

 

親に学費まで出してもらった上に中退してしまったことで、

東京で一人暮らしをする上では、フリーターで収入を稼いだといいます。

 

警備員、トラックの運転手などいろいろなバイトを経験して、

親からは定職につかないために不審な目で見られる始末。

 

転機が来たのは、28歳の時に彼女ができて結婚したいと

希望して、彼女の親からも正社員で働くように勧められたことで、

 

手に職をつけるために職業訓練校に入学して正社員を目指すことにした時に、

義肢科という文字を見て、小学校6年生の時の担任の先生が

骨肉腫の為に義足を付けたことを思い出したことによります。

 

実際には職業訓練校には入学はせず、偶然にも、

義肢装具士の仕事とはどんなものかを見学に行った先の、

鉄道弘済会で、正社員として入社しないかと当時の課長さんから

オファーをうけたことがきっかけです。

 

28歳までフリーターだった人が、

今や、正社員になるどころではなく、

 

義肢装具士として義足の選手に夢を与えて、

その中で特に優れた人がパラリンピックにまで

出場するまでになって高い評価を受けるようになっています。

 

臼井二美男は鉄道弘済会で独学し義肢装具士の国家資格を取得!

義足をつくる 義肢装具士は医学的な知識も必要とされる

国家資格になっています。

 

臼井さんは見習いから入社した鉄道弘済会で独学で学び、

義肢装具士の資格試験に合格しています。

 

義肢装具士になるには?

一般的には臼井さんのようなケースは今の時代ではありません。

義肢装具士の試験は1年に1回あるのですが、

受験をするには高校を卒業した後で、

専門学校や大学で必要な科目を学ぶ必要があるのです。

 

日本全国で5つの大学と6つの専門学校が

ありますので、合計11のルートのどれかを経て、

受験をすることになります。

 

臼井二美男三の場合は中学時代には美術部に

入っていたという経歴もあって、

 

医療についての興味だけではなく、

ものづくりをするという創造的なことに

興味があったといいます。

 

意外と、美術と義肢装具士との適性は似ているのかもしれません。

 

芸術家肌で将来の進路に迷っている人は

1つの選択肢になるかもしれませんね。

 

走り高跳び鈴木徹は山梨から東京の臼井二美男 義肢装具士を訪ねてきたのパラリンピック出場のスタート

臼井二美男さんの評判を聞きつけて、

義足をつくってスポーツに復帰したいと願い、山梨からはるばる

 

東京の鉄道弘済会を訪れた一人が、

パラリンピック陸上 走り高跳びの鈴木徹選手です。

 

走り高跳びの鈴木徹選手プロフィール

山梨県生まれで、駿台甲府高校という名門私立から

筑波大学へ進学して陸上部に入部します。

 

その直後に頭角を現して、

パラリンピック日本代表に選出されています。

 

2000年に開催されたシドニー五輪では6位入賞

とパラリンピックの雰囲気にのまれてしまって残念な思いをしますが、

 

義足をつくっていたのが臼井さんです。

 

2004年アテネパラリンピックでは今度こそ、メダルをという決意だったのですが、

結果は1メートル80㎝で前回と同じ6位でおわりました。

 

2008年北京パラリンピックでは、ひざの故障(ジャンパーズ・ニー)

もあったせいか、1メートル93㎝で5位となり、

ベストコンディションで臨むことの難しさを学んだといます。

 

2012年ロンドンパラリンピックでは、

1メートル98㎝で2メートル越えができずに、4位。

 

悔しさもひとしおだったでしょう。

 

これまで4階ものパラリンピックを経験してきましたが、

義足はすべて、鈴木徹選手からの要望をうけて、

臼井二美男氏が工夫を重ねて作成しています。

 

2016年リオパラリンピックは5度目の挑戦となります。

 

臼井二美男の本「転んでも、大丈夫 僕が義足をつくる理由」で鈴木徹選手が決意したことは?

5度目のパラリンピックを臼井さんと鈴木選手はともに歩んできて、

もう18年の付き合いで、

 

競技中も不具合があれば調整をするの

が臼井さんの役割です。

 

臼井二美男氏の本「転んでも、大丈夫」では、鈴木選手がリオパラリンピックの

決意を述べています。

 

ぼくは、五度目の挑戦となるリオでジャネイロパラリンピックで、

今度こそメダルを手にして、臼井さんにプレゼントしたいです。

出典:「転んでも、大丈夫」

 

 

 

臼井二美男氏は陸上以外にもトライアスロンの義足も作成!バックアップする選手は?

リオ五輪で、臼井さんが義足をつくって

陸上競技に出場する選手としては次のような方がいます。

 

1 鈴木 徹 走り高跳び

2 髙桑 早生

3 中西 麻耶

 

また、陸上競技以外では、

走り幅跳びから転向したトライアスロンの秦由加子選手の義足も

臼井さんが作成しています。

 

臼井さんが作る義足のお蔭で、義足で生活する人たちが

走れるようになること自体が大きな喜びになります。

 

さらに、パラリンピックに出場する選手は体が不自由な

ハンデがあっても、毎日大変な練習をこなして、

 

くじけるどころか夢に向かって努力をしています。

 

パラリンピックでメダルを取れるかどうかは別として、

頑張る姿は私たちに勇気と感度を与えてくれるでしょう。

 

臼井さんはそんな選手をバックアップする仕事をしています。

 





関連記事:


コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ

QLOOKアクセス解析