シンクロ井村雅代コーチは裏切り者と呼ばれなぜ中国へ? 本「教える力」に答えが! 



リオ五輪では、シンクロナイズドスイミングで日本が

「乾友紀子、三井梨紗子ペア」がデュエットで3大会ぶりの銅メダル、

 

8人によるチームのフリールーティンでも3大会ぶりの銅メダルを獲得して

日本に感動を与えてくれました。

 

かつては、日本のお家芸のようにも思えていたシンクロですけれども、

井村雅代コーチ中国へヘッドコーチとして不在になってからは、

メダルから遠ざかっていました。

 

逆に中国が日本を追い抜きメダルと獲得できるようになり、

井村コーチは裏切り者と呼ばれました。

 

なぜ、井村コーチは中国へ行ったのか?

詳細は本「教える力 私はなぜ中国チームのコーチになったか」に

理由が書いてありました。

 

 

井村雅代コーチ シンクロの受賞歴がなぜ中国へという疑問と、裏切り者という評価に!

1984年 – ロサンゼルスオリンピック シンクロ正式競技化、元好三和子・木村さえ子組でデュエット種目銅メダル。
1988年 – ソウルオリンピック 小谷実可子・田中京組でデュエット種目銅メダル。
1992年 – バルセロナオリンピック 奥野史子でソロ種目銅メダル。
1996年 – アトランタオリンピック チーム種目(8人制)銅メダル。
2000年 – シドニーオリンピック デュエット種目の立花美哉・武田美保組、チーム種目それぞれ銀メダル。
2001年 – 世界選手権福岡大会 立花・武田組デュエット種目で世界大会初の日本人金メダル。
2004年 – アテネオリンピック デュエット種目の立花・武田組、チーム種目それぞれ銀メダル。

出典:井村雅代 コーチとしての受賞歴

以上が、井村雅代コーチが日本代表のコーチをしている間の日本の受賞歴です。

1984年⇒1988年⇒1992年⇒1996年⇒2000年⇒2004年

と6回連続でオリンピック日本代表選手はシンクロでメダルを受賞してきました。

 

ところが、井村雅代コーチが2006年12月25日に中国へヘッドコーチとして

移籍してからの日本代表は、

2008年と2012年のオリンピックでメダルを逃しています。

 

一方で、中国でヘッドコーチを務める井村コーチは、

2大会連続して中国へメダルをもたらしました。

 

2008年 – 北京オリンピック 中国代表、チーム種目銅メダル。
2012年 – ロンドンオリンピック 中国代表、デュエット種目銅メダル、チーム種目銀メダル。

出典:井村雅代 コーチとしての受賞歴

 

日本からは裏切り者と呼ばれる現象が偶然にも

そろってしまいました。

 

コーチの力は非常に重要であることもよくわかります。

 

井村雅代の本「教える力 私はなぜ中国チームのコーチになったか」に理由が告白

井村雅代コーチがなぜ中国チームのコーチへ就任したのか?

「教える力 私はなぜ中国チームのコーチになったのか」という本に

詳細が書いてあります。

 

井村コーチが中国へ行った理由は、中国が北京オリンピックで

メダルを獲得したいから、名コーチとして井村コーチへ

 

スカウトをしてきて、しかも、ヘッドコーチとして受け入れてくれるということで、

これまでの井村コーチの実績を認めてくれたということが

大きいと語っています。(日本では必要とされてると感じられない時期だった)

 

さらに、もう一つの理由としては、

「日本流シンクロを世界にアピールする、いいちゃんすや」

「世界で七番の国(=当時の中国)に行って、メダルを取らせることができたら、

日本流シンクロをアジアだけでなく世界に根づかせることができる」

出典:教える力

 

という考えをもって中国からのオファーに応じていました。

 

リオ五輪で、日本代表が3大会ぶりに銅メダルと獲得して、

代表選手がみな涙を流していました。

 

また、北京五輪で、中国選手が井村コーチのもとでメダルを初めて獲得した時も、

涙を流していました。

 

それだけに、井村コーチのもとで厳しい練習を耐え抜いた選手は、

「井村コーチのあの厳しさは、このためだったんだ」

 

と感慨深くメダル獲得を

喜んで泣いている光景は同じです。

 

それだけ、井村コーチの指導する姿勢は厳しいだけではなく、

日本人でも中国人選手でも愛情をもって

指導をしてきていることがよくわかります。

 

ヘッドコーチとしての待遇の良さ、報酬の大きさの為に

日本を裏切ったといわれたりしていますが、

 

お金のことだけで日本を去ったのではないことが

コーチとしての姿勢からも理解できます。

 

井村雅代コーチは裏切ったのではなく、日本のためにも中国へ行った!

中国に、シンクロ史上初のメダルをとらせたのは、ヘッドコーチ井村の業績である。

が、彼女は、中国チームの歓喜のの輪の中に入っていくことができなかった。

そして、日本の結果が五位だったことを知って、涙していた。

そのエピソードを話し終えた後、彼女はうつむき、

囁いたのである。

「やっぱり、日本人なんですよね・・・・」と。

出典:教える力

 

井村雅代コーチのエピソードからも、中国へ行った理由は

世間がいうような裏切り者としての存在ではなく、

 

日本のシンクロをもっと認めさせたいという気持ちで、

中国で名コーチぶりを発揮していたのは確かでしょう。

 

指導者としての熱意、大阪のおばちゃんが抜けない人間味

を感じることができるいい話が書いてある本です。

 





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