寺島進、たけしをアメリカまで追いかけオフィス北野に所属したエピソード!人情ある性格は父親譲り?



「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」(日テレ系)

2015年10月28日 の放送では、

 

俳優の寺島進さんの「スペシャルゲストクイズ」

が放送されます。

 

寺島さんに対する街の人の印象の中には、

  • 田舎で野菜作ってそう」
  • 「田舎の山の中で育ったっぽい」

 

など、

 

なぜか『田舎者』の印象があることがわかりました。

 

これは東京生まれで東京育ちであるにも関わらず、

どことなく田舎っぽい性格があるから

でしょう。

 

 

寺島さんがアメリカまで下積み時代に恩義がある北野監督(=たけし)さんを

ハリウッドまで会いに行ったエピソードを通して、

寺島さんやたけしさんの持つ人情や性格について見てきたいと思います。

 

 

田舎者の印象がある寺島進の実家が畳屋で父は職人気質!出身は東京都江東区深川の人情がある下町!

 

寺島進さんのイメージが田舎者に見える理由を

探っていくと、

 

東京都江東区深川の実家あったことに

起因しているように思います。

 

東京や都会のイメージは、ビルとビジネスマンと

マンション暮らしの住民といった

イメージかと思います。

 

寺島さんの実家は東京23区とはいうものの、

江東区の千葉よりの地域です。

 

(深川は東西線・大江戸線の門前仲町駅の北方向にあります。)

 

江東区には深川まつりや江東区花火大会があって、

情緒豊かな街ともいえるでしょう。

 

都会にありながらも、田舎のように

人と人との絆もありそうな町です。

 

その江東区で寺島さんの実家のお様は

畳屋さんを経営していました。

 

自営業で頑張る職人気質な性格のお父様を見て

育った寺島さんは、

 

一般の会社員の家庭に育つよりも、

世間の人がいう、田舎っぽい雰囲気を

持つようになったのではないでしょうか?

 

寺島進と北野監督の言葉で下積み時代を乗り越えた!恩人たけしも東京出身でチャンスをくれた!

 

寺島さんが俳優として下積み時代に

1989年の北野監督作品

 

「その男、凶暴につき」に

出演する機会がありました。

 

 

寺島進さんは北野監督に俳優の仕事は生涯やり続けるように

勇気を与えれたことで、

 

売れるまで、俳優をやり続けるという覚悟ができた

衝撃的な出会いになりました。

 

俳優をするうえで、尊敬する北野監督(=たけし)がいる

オフィス北野に所属するきっかけになったのは、

 

1992年にたけし監督(=北野監督)が、ハリウッドにいることを知り、

実家の父に借金をして、アメリカへ行き、

 

NYから1月もかけて、バスを乗り継いで、

たけし監督に会いに来た珍道中を

 

たけし監督と語り合う機会を作ったことで、

オフィス北野の一因になるチャンスをつかみました。

 

大物の「たけし」さんも、アメリカまで金もない下積みの俳優が

会いに来てくれるというのは

 

男気のある性格のたけしさんは、

気持ちがぐらぐらっと来たと思います。

 

寺島さんが生まれ育った江東区も人情味がある土地ですが、

北野監督も、東京都足立区の出身で、

 

たけしさんに人情味や男気ある性格を感じる

素晴らしいエピソードだと思います。

 

 

寺島進さんは、自身の努力で尊敬する人と

縁を作る努力をして、道を切り開いた前向きな性格は

並大抵ではないですよね! 

 

 

 

寺島進は北野監督に師事し、46歳で結婚後、嫁と子供2人の4人家族には家訓まであった!

 

1989年に北野監督から、生涯俳優をブレイクするまで

やり続けるように励まされた寺島さんは、

 

46歳の時に一般人の女性と結婚しました。

その後おさんとの間には二人の子供で来て、

 

今では、家訓に『愛・恩義・結束力』を

掲げて、芸能界の仕事にも邁進しています。

 

特に、「恩義」というのは、

たけしさんに対する寺島さんの

義理堅い性格が強く現れている

気がします。

 

過去に受けた恩を大切にして

愛情を持って家族に接しているとすれば、

素晴らしいことです。

 

 





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